よけいなお話7

実行可能な案の中からもっとも優れた案を見つけ出す道具に数学があります。

1947年にStanford大学のGeorge B. Dantzicが一般的な線形計画問題(LP問題)を解くために、シンプレックス法(Simplex Method)という解法をあみだしました。これがきっかけとなり、20世紀の後半は「最適化のための数学的方法」が著しい進歩をとげました。これはORの中核をなす方法に発展しました。

88年に日本を訪れたときのDantzic先生(左)です。真ん中はやはり数理計画法の大家であった故Beal先生の奥様、それにまだぴちぴちしていた頃の筆者です。

最適化の話は図を見ていただくと何をやろうとしているのかはわかると思います。この図のようなことを実現するためには、どうしても数学の力を借りなければなりません。このような数学的方法の発展に拍車をかけたのがコンピュータです。コンピュータは大量な計算を処理してくれます。

現在、コンピュータは文字情報や画像・音声、などいわゆるマルチメディアを扱えるようになり、さらにネットワークによる通信まで可能になり、マルチメディア情報が世界を駆け巡る世の中となったのです。

コンピュータとテレビ画面を組み合わせた最初はPDP−8というミニコンだったと思います。コンソールに使っていたCRTをグラフィック出力に使ったものです。BASICでプログラムをするものです。DECは1960年代から1970年代はじめまでに、PDP−1からPDP−16までを発売しました。その中でPDP−11は有名な機械で世界中で売れました。この後、パソコンが出現し爆発的にコンピュータが普及します。

日立造船の人がシミュレーションの結果をCRT上にアニメーションで動画を映し出しました。日本では最初でした。わたしに見に来てくれというので見に行きましたが面白かったです。それまで、アウトプットは紙の上だったのです。内容はガソリンスタンドのシミュレーションでした。そこで、アメリカで夏・冬に開催される、まだ始まったばかりの頃のシミュレーション・コンファレンスで発表するように薦めました。日立造船の機械はPDP−11だったかもしれません。

昔はコンピュータは数値情報を処理するための機械でしかありませんでした。したがって、われわれや理工系の仕事に携わる技術者しか使わなかったものです。